CxOキャリアストーリー021
CxO キャリアサマリー
阪井 祐介 氏
MUSVI株式会社 代表取締役 / Founder & CEO
阪井氏:大学を卒業して22歳でソニーに新卒入社したのが1999年。当時は自分がCxOの道を選ぶとは想像もしていませんでした。それから2022年まで、およそ23年間、いわば“サラリーマンエンジニア”で、ベンチャーやスタートアップといった世界とは無縁な人生を歩んできました。その間、ずっと温めてきたのが「窓」というプロダクトです。遠隔でも本当に人と人がまるで直接会っているかのような非常にリアルなコミュニケーションが取れる体験をつくる、という構想です。長年それを形にしたいという思いがあり、いろんなご縁も重なってMUSVIを立ち上げることにしました。創業は2022年1月7日、僕の45歳の誕生日。そこからCxOキャリアが始まりました。
阪井氏:これまでソニーでは似たようなスピンアウトの事例はありましたが、多くは医療やヘルスケアなど、本業と異なる領域に技術を転用するケースです。でも「窓」のように、映像や音声、通信、インタラクションといった、ソニーのど真ん中にある要素を扱いながら、社外でゼロから立ち上げるというのは本当に異例だと思います。ソニーを退職することを決めてMUSVIを創業し、その事業をソニーが応援する形で技術提供や出資してくれるという形でした。大企業が、現場出身の社員のアイデアと熱意に投資する。それはやはり前例の少ないチャレンジだったと思います。なぜそれが実現したのか――ひとことで言えば、不器用だったからかもしれません(笑)。器用に立ち回ってチャンスをものにするタイプじゃなくて「窓」というテーマにずっとこだわり続けて、社内のいろんな職種を渡り歩きながら地道に追いかけてきたんです。その姿を、トップマネジメントから現場のメンバーまで本当に多くの方が見てくれていた。それが一番大きかったのかなと。たとえ優秀な人が外から入ってきて「この技術をください」と言っても簡単には応援されないと思うんです。実際ヘッドハンティングの話も何度かありましたし、年収が1.5倍になるような条件もありました。でも不思議とまったく心が動かなかった。待遇やポジションではなく、ソニーの中に眠っている宝のような技術をどう活かすかに、ずっと心が向いていたんです。ただ、その宝は簡単に取り出して使えるものではありませんでした。だからこそ丁寧に、あらゆる手段を使って取り組み続けた。その積み重ねが、今回のような形につながったのだと思います。
阪井氏:ある意味で、社内でできることをやりきった、というところまで行ったんですよね。「阪井くんには新しいエコシステムをつくってほしい」そう言って送り出してもらえたことが、その証だと感じています。ソニー創業者の井深さんが「黄金のモルモット」と呼ばれた逸話がありますよね。誰もやっていないことに挑戦する存在であることこそがソニーの本質。その精神に重ねて応援していただけたのかなと思っています。
阪井氏:一方で、大企業の中で「新規事業をやるべきだからやろう」と言っても、誰が責任を持つのか、誰がやりきるのかが曖昧になりがち。結果として、成果もそれに比例してしまう。思い返せば、20数年前にソニーの出井さんが立ち上げた「ソニーユニバーシティ」は、「このままでは立ち行かなくなる」と考えて立ち上げた社内ベンチャー育成制度でした。量子的なジャンプを起こすための、大胆な試みだったと思います。MUSVIはまだこれからですが、本当に長い時間がかかるものだと実感します。社内でメンバーを集めて「ゼロからやりましょう」といっても、そんなにイージーな話ではありません。そこには、時間と本気のコミットメントが必要なんです。
阪井氏:一番感じるのは、「生きてる実感が半端ない」ということです。今日一日、自分がどう生きるかということと、会社や社会、プロダクトの動きがものすごく直結している。めちゃくちゃしんどい。でも、それ以上に「楽しいな」と思える毎日なんです。もし「生きる」の反対を「死ぬ」とするなら、たしかに「死なないようにする」ことはできるかもしれない。でも「死なないこと」を目的にしてしまうと、それって本当に「生きている」とは言えないんじゃないか。少し哲学的ですけど、倒産するかもしれない、顧客がいなくなるかもしれないというギリギリの状況だからこそ、「今、生きている」という実感が湧いてくる。そういうダイナミズムの中では、自分のやっていることの解像度が上がるというか、ものすごく手触り感があるんですよね。変な話なんですが、僕、ソニーに入社して10年くらい経ったとき、本気で寿司職人に憧れてたんです。朝早く起きて築地に行って、自分の目利きで魚を選んで仕込む。そして夜には板場に立って、自分が握った寿司をお客さんがその場で食べる。まずいと言われるかもしれないし、うまいと言われるかもしれない。でも、その日一日の仕事が、その日中にお客さんの反応として返ってくる。すごくダイレクトじゃないですか。もちろん、寿司職人にも長年の積み重ねはあると思いますが、やっていることとフィードバックが1日の中で完結しているのが、すごく羨ましかった。一方でエンジニアの仕事って、「3年後に製品化されるかも」とか「10年後に役立つかも」という世界にいるわけです。それも大切ではあるけれど、人間って呼吸して生きているわけで、吐いて吸ってを繰り返すことで成り立っている。でも「10年間は息を吐き続けてください。その後に空気が入ってきます」と言われたら、やっぱりしんどいんですよね。
--学生時代にバックパッカーとして旅をされていた阪井さんにとって、原体験からつながる「自分が作りたい世界観」とは、どのようなものなのでしょうか? たとえば「こうなったら、ある意味やりきった」と思えるようなビジョンがあれば教えてください。
阪井氏:僕が一貫して向き合っているテーマは「物理的距離」なんです。つまり「一緒にいられるか、いられないか」という、人と人の関係性に直結する課題です。いま僕たちはZoomで話していますが、物理的には離れていても、かなり密なコミュニケーションができている。これはすごいことだと思う反面、もし同じ話を対面でしていたら、きっと違う内容になっていたとも思うんです。それくらい、物理的距離は人間のやりとりに影響している。現実には、ITに不慣れな人たちは自宅から何時間もかけて都市に行かないと会いたい人にも会えない。南極やアフリカの話ではなく、日本国内にも「距離の壁」によって社会とのつながりが断たれている人がたくさんいるんです。だからこそ、僕たちは「窓」というプロダクトで“どこでもドア”のような体験を実現したい。行くことよりも「行った先で誰とどんな時間を過ごすか」が本質で、そのコミュニケーションを可能にすることが「窓」の目指す世界です。物理的距離があるせいで、人は都市に集中し地方が衰退していく。10世紀につくられた交通インフラの有無で土地や人の価値まで決められてきました。でも「窓」があれば、距離を超えて人と人が出会える。それが当たり前になれば「フィジカル・ディスタンス・ディバイド」、つまり物理的な距離による格差は本質的に解消できる。これは不動産の価値観も、働き方も、人材活用も、すべてを変えていくインパクトがあります。たとえば、足を怪我して移動が難しい人が、これまでは社会から取り残されていた。「窓」があれば、たとえ山奥にいても、都市部の会議に「その場で」参加できる。そういう体験を当たり前にしたいんです。これは僕自身が旅を通じて得た“身体で感じる世界のリアリティ”に対する信念ともつながっていると思います。
--Zoomではなぜ“距離”を感じてしまうのでしょうか? そのギャップを、「窓」はどう解決しようとしているのか、教えてください。
阪井氏:一つは、今のオンラインツールに組み込まれている前提に問題があるんです。たとえばZoomでは、話している人に枠がつく。あれは通信技術のルーツである軍隊の設計思想が色濃く残っていて「言語以外の情報はノイズ」「一方向の伝達で十分」という考えに基づいています。だから、僕が今手を叩いても、相手には届かない。背景で何か異変が起きても伝わらない。非言語の情報がほとんど排除されてしまっていて、それがじわじわとストレスになる。さらに、会話の構造も非対称です。誰かが喋り、誰かが聞く――。この上官と下士官的な設計が、自由なブレストや自然な雑談を阻んでしまうんです。新人が部長と話していて「どうぞどうぞ」となった瞬間に、新人は委縮して発言できなくなる。結果として、残るのは長時間の言語的やりとりに耐えられる“コミュニケーション強者”だけになっていく。でも「窓」が目指しているのは、そうした非対称性をなくして、誰もが自然体で関われる空間をつくることです。5人、10人が同時に喋ってもハウリングも起きない。目の前に相手がいる感覚で、気配や空気を共有できる。特に建設現場や医療現場、クリエイティブな会議の場などでは、「窓」なら自然にできる。そんなふうに「窓」は“本質的な場の質”をテクノロジーで支えるプロダクトなんです。そして今「窓」はすでに世界中に660台以上導入されていて、これから1万台、10万台と広がっていけば、電話ボックスや街頭テレビのように、誰でも歩いて行ける距離に「出会いのスタート地点」がある、そんな世界が実現できると信じています。
阪井氏:ビデオ会議システムは、使い方で体験がまるで変わるんです。スマホでラフに入ったら、今のような感覚にはならないし、PCでしっかり机に向かって話すだけでも、臨場感が違う。画面を縦に使って、丹田あたりまで映すだけで、相手に存在感がしっかり伝わる。小さな工夫で、コミュニケーションの質は大きく変わるんです。この5年間で、人類全体が“人と人が本当に結びつくこと”の価値を再認識したと思うんです。リアル回帰も進んでいますが、それは“人との関係性の本質”を求める動きの現れです。ただ、リアルかオンラインかという二択ではなくて、その中心にあるのは「本質的なつながり」なんですよね。物理的な距離やルール、バイアスを超えて、つながれるかどうか。ありがたいことに、ここ数年でそうした思いに共感してくれる人が本当に増えてきました。最近は、湘南エリアにCxO層が集まってきているのも象徴的です。茅ヶ崎・葉山・鎌倉など、都心から1時間の距離で、ロジックでも感覚でも“ちょうどいい場所”。大きな都市が生まれつつある中で、湘南のような場所が今、非常に特別な意味を持ってきている。そして、湘南に拠点を持つ人たちの中には、次に南伊豆へ移ったり、さらに遠い場所に拠点を持ち始めている人もいます。「この距離なら行ける」と感じ始めているんです。港区がすべてだった人たちが、選択肢を広げ始めている。僕自身も「窓」があることで、長崎でも大阪でも、どこにいても働けると実感しています。先週は大阪で1週間仕事していましたが、もう場所は関係ない。繋がっていれば、そこが職場になるんです。極端な話、宇宙ステーションにいたってStarlinkがあればつながれる。つまり、物理的な制約というのは、どんどん解放されてきている。今後は、自分が本当にいたい場所で、必要な人と、必要な形でつながる。それが当たり前になっていく。人の流れや働き方の最適化が、もっと大きく進んでいくはずです。
阪井氏:自分がCxOの世界に飛び込むときは、いわゆるファーストペンギンのようで、正直とても怖かったです。20年かけてようやく踏み出した感じです。ソニーの中から飛び出すことも相当しんどかったですし、みんなに「どうぞ」と言えるほど気楽ではありませんでした。でも、その20数年間を通して感じるのは、大きな方向性は確実に変わってきているということ。僕らが小さな「穴」を開けていくことで、そこから確実に光が差し込むような、そんなタイミングに今、近づいていると思います。こういう思いを持った人たちが、出る・出ない、やる・やらないという二択ではなく、お互いに繋がって、サポートし合いながら、新しいチャレンジを一緒に進めていく。そんな動きが、これからの1〜2年で加速すると思います。