【CxOキャリア】鈴木規文氏のキャリアストーリー

CxOキャリアストーリー020
フルカスタマイズで課題に徹底的に向き合ってブーストしてきた0→1起業人生
CxO キャリアサマリー
鈴木 規文 氏
株式会社01Booster 代表取締役 会長
- 1999年 カルチュア・コンビニエンス・クラブ㈱ 入社
- 2006年 ㈱キッズベースキャンプ 創業
- 2012年 ㈱01Booster 創業
- 2023年 ㈱01Booster 代表取締役 会長 就任
- 2023年 ㈱01Boosterホールディングス 代表取締役 CEO
- 2023年 ㈱01Boosterキャピタル 代表取締役 CEO
CxOのキャリアを選んだきっかけや背景は?
鈴木氏:もともと起業にはそれほど関心があったわけではなかったんです。 ただ、父方・母方ともに親族にサラリーマンがほとんどおらず、どちらの家も食料品の卸会社を経営していたんですよね。斜陽産業と言われる業界でしたが、その会社を継ぐつもりもなく、兄もサラリーマンになったので、私も自然とそうなるのだろうと思っていました。大学を卒業してゼネコンに入り6年ほど勤め、その後、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)で7年半働きました。ところが、サラリーマンとして働く中でずっと居心地の悪さみたいなものを感じていたんです。そんなときに、ミスミの田口さんが立ち上げた株式会社エムアウトという、社内で新規事業を作ることに特化した会社から、「一緒に事業をやらないか」と声をかけてもらい、そこで東急沿線に「キッズベースキャンプ」という小学生向けの保育事業を立ち上げることになりました。
-社内ベンチャー的な事業ですね?
鈴木氏:そうです、まさに社内ベンチャーです。そのキッズベースキャンプは、3年で東急電鉄に売却でき、今でも東急電鉄の子会社として残っています。私は売却後の3年間、PMI(統合プロセス)を担当しました。ただ、その後はまた東急電鉄の子会社の経営に携わることになり、サラリーマンの立場に戻った。それは自分の本意ではなかったので、PMIを進めながら起業の準備を始めたんです。そして40歳のころに01Boosterを立ち上げました。
01Booster創業の原点
-エムアウトでの経験が、01Boosterの構想につながったのでしょうか?
鈴木氏:そうですね。エムアウトは、起業家を集めて事業を生み出すことを目的とした会社でした。いわゆる起業家のコミュニティ的な組織です。そういう意味で、01Boosterとも通じる部分があると思います。もうひとつ影響を受けたのが、エムアウトの前にいたCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)です。あの頃は、CCC自体がまさにベンチャーの代表格で、周囲には起業家タイプの人が多くいました。社長の増田宗昭さんをはじめ、三木谷浩史さんや金丸恭文さんといった起業家たちが近くにいた環境だったので、その刺激も大きかったですね。ただ、自分自身がサラリーマンに向いていないと感じていたことが最も大きな理由です。指示に従って動くよりも、自分が信じるものに向かって動く方が性に合っていた。そうした思いが、01Boosterを立ち上げようと決意した背景にあります。
-そのうえで、エムアウトと01Boosterの違いについても教えてください。
鈴木氏:まず一番の違いは「オーナーシップ」の有無ですね。エムアウトは、ミスミの創業者である田口さんが立ち上げた会社で、僕たちはあくまでその中で動いていた立場。自分が事業を生み出しても、オーナーとしての裁量やリターンはなかった。いわば「疑似起業」に近かったです。一方、01Boosterでは、自分自身がリスクを取り、オーナーシップを持って起業しました。誰かの傘の下ではなく、自分で借金してオフィスを借りて、仲間を募って始めた。そこが大きく異なるところですね。やはり「起業」は、自らの責任で意思決定してこそ意味がある。そう実感しています。
-01Boosterの共同創業者である合田ジョージさんとの関係性についても教えてください。
鈴木氏:ジョージとは、グロービス経営大学院のネットワークで出会いました。僕がまだキッズベースキャンプに在籍していたころ、起業を意識し始めていたタイミングです。グロービスの卒業生の中には、大企業に違和感を持ち、自分たちで何かを始めたいという人が一定数いました。そういったメンバーで、夜や週末に集まってビジネスプランを持ち寄り、ディスカッションする「起業部」のようなコミュニティが自然とできあがっていました。その事務局を担っていたのがジョージです。みんなが次第に本当に会社を辞め始めて、まだマネタイズの見通しが立たないまま、1つのシェアオフィスを借りて一緒に事業づくりに取り組むようになりました。当時はちょうど、Yコンビネーターが話題になり始めた頃。教育プログラムと投資、シェアオフィスがセットになったような仕組みが日本にもあれば、もっと起業しやすくなると考えました。それなら、自分たちでつくろうと。そうして立ち上げたのが01Boosterです。場所は東麻布。単なるオフィスではなく、教育や事業伴走の機能を持たせていました。創業当初はメンバーが8人ほどいましたが、01Boosterという会社を中心に集まったというより、それぞれが自分の事業を形にしたくて集まった、いわば“遠心力”のあるチームでした。僕は旗を振った立場なので、最後まで逃げられず、オフィスの契約も僕が借金してやりました(笑)。その頃、ジョージはWeglo Japanという別の会社も経営していました。そんな流れで、01Boosterは生まれたんです。
資本構成の失敗と、コミュニティから事業へ
鈴木氏:01Boosterの立ち上げは、今振り返ると大きな失敗から始まりました。初期の中心メンバーは3人で、全体では8人ほど。その3人で株式を3等分してしまったんです。今なら絶対にやらない分け方ですね。というのも、当時は01Boosterという会社を大きくしようとは、誰も本気で考えていなかったんです。目的は、各自が持っている事業を成功させること。そのために集まった「コミュニティ」が01Boosterの始まりでした。01Booster自体は、共通のオフィスと教育プログラムを提供する“箱”でしかなかった。だから、資本構成も深く考えずに決めてしまったんです。その後、みんな自分の事業を進めながら01Boosterの場に集い、切磋琢磨していました。僕は旗振り役だったので、コミュニティ運営に力を入れていたんですが、気づけば多くの人が集まり始めていた。たとえば「OFFICE DE YASAI」のKOMPEITOなどの初期のスタートアップや、大阪発で東京に拠点を置いたi-plug、後に上場したGlobeeなどもここに入っていました。登記利用もできるシェアオフィスとして運営していて、収益も少しずつ出ていました。ただ、僕らの意識としては、いわゆる“シェアオフィス事業”をやっているという感覚ではありませんでした。むしろ、場を使って新しい事業を生む「アクセラレーター事業の基盤を作っている」感覚だったんです。一方で、それぞれが持ち込んだ事業はほとんどうまくいかなかった。そうなると、01Boosterを優先するか、自分の事業を続けるかという選択が迫られます。結果として、創業時のメンバーは次々と抜けていきました。中にはサラリーマンに戻った人もいた。最後に残ったのは僕とジョージの2人だけです。ジョージも途中で自分の事業を休止し、01Boosterに集中する決断をしました。そこから、僕たちは本格的に01Boosterを事業として育てる方向に舵を切った。創業が2012年なので、本格的に事業化したのは2014年頃、ちょうど2〜3年経ったタイミングです。
アクセラレーターを超えて、プラットフォーム化する01Booster
鈴木氏:01Boosterは、もともとアクセラレーター事業からスタートしました。当時注目されていたYコンビネーターと並ぶ「Techstars(テックスターズ)」というモデルがあって、特に後者は大手企業と連携して企業のリソースを活用しながらスタートアップを支援するという手法を取っていたんです。日本では大手企業の影響力が非常に強いので、このモデルは日本向きなのではと考え、かなりカスタマイズした上で、日本版のコーポレートアクセラレーターを開発しました。最初の導入企業は学研、その後に森永製菓と続きました。まだ国内には前例がなかったため、非常に注目されて、4年目以降は「うちでもやってほしい」と各社から依頼が来るようになりました。この流れの中で、「01Boosterといえばコーポレートアクセラレーター」といった立ち位置が一気に確立されていきました。もちろん、スタートアップをアクセラレートすることが主目的なんですが、大手企業側にも変革の必要性がありました。新規事業創出のきっかけづくりや、組織風土の刷新といった課題に対し、スタートアップとの共創は非常に有効だったのです。とはいえ、アクセラレーターという言葉自体はその後、次第に市場での熱が落ちていきました。私たちはその兆しを早い段階から捉えていて、次なる柱として「イントラプレナー育成」や「社内教育プログラム」、さらには「行政・自治体系のプログラム」などに領域を広げていきました。現在の収益モデルは、大きく3本柱です。1つ目は、企業向けのコーポレートアクセラレーター。2つ目は、企業内の起業家育成や教育プログラム。3つ目が、自治体・行政との連携による起業支援や教育事業。これらの活動を通じて、全国から起業家やビジネスプランが集まるようになり、01Boosterという「プラットフォーム」が自然と形成されていきました。これを支える拠点が、有楽町にあるSAAIという大きなオフィスです。ここを拠点に、全国の企業や自治体とつながりながら、事業と人を加速させています。そしてこのプラットフォームの存在が、投資機会の発見にもつながっています。2022年からは独自のファンドも立ち上げ、プログラムの運営会社としてだけでなく、スタートアップへの投資機能も持つようになりました。現在の01Boosterは、教育・共創プログラムの運営と、投資という2つの機能を両輪に、有楽町のSAAIを拠点に展開しています。
競合不在、フルカスタマイズ主義──01Boosterの独自性
鈴木氏:01Boosterに競合はいるのかとよく聞かれますが、私は「競合はいない」と社内でも一貫して言い続けています。私たちは唯一無二の存在であるべきだという意識でやってきましたし、どこかを特別に競合視したことはありません。もちろん、クライアント側が他社と比較して導入を検討するケースはあります。でも私たち自身は、「比較されるようなパッケージ商品」を売っているつもりはまったくありません。私たちのやり方は、企業ごとにプログラムを完全にカスタマイズするスタイルです。課題を共有し、現場に入り込み、企業の状況に合わせてゼロからプログラムを組み立てていきます。だからこそ、01Boosterらしさというのは「フルカスタマイズ」であり、「課題に徹底的に向き合う」ことなんです。とはいえ、パッケージ化できないということは、量産が難しくなります。再現性や反復性が低くなるので、ビジネスとしては効率が悪くなりがちです。そこはある種のトレードオフですね。多くの企業やスタートアップがパッケージ商品や反復可能なモデルに向かう中、私たちはそれと真逆を選んでいます。特にスタートアップ業界では、VC(ベンチャーキャピタル)から出資を受けると、スケーラビリティや成長性が重視され、どうしてもパッケージ化・効率化に傾きがちです。でも、私たちは創業から今に至るまで、ジョージと私の資本で経営しています。外部資本に縛られないからこそ、自分たちの信じるスタイルを貫ける。それが、01Boosterと他社との最も大きな違いだと思っています。私は2022年に祖業である㈱01BoosterのCEOをジョージに引き継ぎ、ホールディングス体制に移行しました。ちょうど創業10周年のタイミングでした。その年、有楽町SAAIという拠点を本格稼働させ、同時に独自ファンドも立ち上げました。現在は、ホールディングスとキャピタル(投資会社)の両方を見ながら、次のステージに向けて動いています。
イノベーションは“概念”であり、“仕組み”で生まれる
鈴木氏:やっぱりイノベーションって、捉えどころがなくて、日本全体が未だに試行錯誤している領域だと思うんです。ただ、企業によっては失敗を積み重ねることで熟練度が上がり、報道や見られ方も変わってきている。失敗の蓄積が次に繋がる価値になっていると感じますね。イノベーションを起こすには、多様な資源を社外からも集める必要があります。今のように社会が複雑化した時代では、社内の資源だけで勝てる時代はもう終わっている。だから、イノベーション活動がオープンになるのは必然なんです。人材も含めた多様な資源を巻き込む行為そのものが、オープンイノベーションという概念なんです。この言葉自体は、2003年に米国のヘンリー・チェスブロウ教授が提唱したものですけど、それ以前から実態としてあったんですよ。たとえば孫正義さんも日清食品の安藤百福さんも、他人の資源を引き出して事業を成功させてきた。つまり、本来イノベーションというのはオープンであるべきものなんです。イノベーションの定義も整理が必要で、スティーブ・ジョブズのような天才が突如何かを生み出すというイメージは、ちょっと過剰に神格化されていると思うんです。経済発展にはイノベーションが不可欠だというのは、シュンペーターが110年以上前に述べている通り。ただ、それが何か特別な天才の手によってのみ起こるというわけではありません。日清食品が大きくなったのも、伊藤忠商事といった大手商社が販路を広げてくれたからです。つまり、小さな種を広げてくれる支援者の存在が鍵なんですよ。スティーブ・ジョブズも、iPodやiPhoneに使われている多くの技術は政府が開発したものであって、彼はそれらをうまく組み合わせて世に出したにすぎない。イノベーションというのは、発明(Invention)と市場化(Commercialization)がセットになって初めて起こるものです。Luupのような例でも、国交省を動かし、法律を変えながらサービスを実現していった。そのプロセスこそがイノベーションなんです。01Boosterは、多くの資源を持つ大手企業を巻き込むことで、国内におけるイノベーションの総量を底上げしたいと考え、コーポレートアクセラレーターを始めたんです。
バトンを託し、次の挑戦を支える立場へ
鈴木氏:10年間、現場を引っ張ってきましたが、今は少し距離を置いて、次の世代にチャンスを譲る立場を意識しています。口出ししたくなることもありますけど、なるべく見守るようにしています。本当はもっと勉強して、市場を俯瞰し、歴史や構造を整理していくような仕事に向き合いたい気持ちもあります。とはいえ、現場を見るとイライラもするんですけどね(笑)。ビジネスにおいては、01Boosterと投資会社01Boosterキャピタルを束ねたホールディングス体制で、プログラム運営と投資の“両輪”が自然に機能するモデルを完成させたいと考えています。このモデルが国内でうまく機能している例はまだ少ないので、それを社員たち自身の力で実現できたら、すごく美しいなと。僕が前に出ずに、それがちゃんと回るのが理想です。そしてもう一つ、自分の夢や野望というよりは、会社そのものを次に託すという意識が強くなっています。ここからはより優秀な人たちが次の01Boosterを成長させていくフェーズに入ると思っているんです。正直なところ、資本主義の競争に対して少し疲れもあります。どれだけ“余計なもの”を買わせるかという側面に疑問を感じるようになってきて、本当に社会に必要なことに向き合いたい気持ちが強まっている。でも、ビジネスである以上、現実は理想とずれる部分もありますし、それを推進してくれる人たちに期待しています。14年かけて、会社は少しずつ形になり、オフィスも構え、ファンドもつくり、大手企業や自治体とのネットワークも築けました。この資産を活かして、次の世代が思いきり挑戦できるように引き継ぎたい。それが、今の僕の正直な思いです。僕自身は、もう最前線で「俺についてこい」と言うようなフェーズではない。ここからは、バトンを託していく役割だと感じています。
イノベーションを日本の土壌で問い直す
鈴木氏:まず、01Boosterの両輪モデルであるプログラム運営と投資機能が連動するこの仕組みが、国内で本当に機能するようになったら、それはとても美しい姿だと思っています。僕自身が前に出るというより、いま動いているメンバーたちが思いきり活躍できる環境を整える。そんなバックアップのポジションでいたいと思っています。あとは記事にはなりづらいですが、子どもがまだ学生なので、親としても大事な時期を迎えています。子供たちの自立までを見据えるとあと9〜10年は親としての役目が続きます。この時間も大切にしたいですね。それからもう一つ。これはまだ「火がつきかけている」程度ですが、日本国内におけるイノベーションやオープンイノベーションについて、もっと本質的な議論が必要だと感じています。このテーマについて何らかのかたちで言葉を残したい。本を書くのか、別の手段を取るのかは決めていませんが、少しずつ向き合い始めているところです。僕は日本人として、日本という環境におけるイノベーションの在り方をきちんと問い直したい。アメリカなどの海外の事例をそのまま当てはめるのではなく、日本の地理や歴史的背景とセットで考える必要がある。だからこそ、日本という文脈で語る意義があると思っています。

2025/06/03 12:00:00